食を味方にすること
食は味方にも敵にもなる
最近、「食べる」って何だろう? なんてよく考えます。「食べる」ことをしないと死んでしまうし、でもその真逆に「食べる」ことで死に近づいている。
生きるも死ぬも、食べる次第、なんて。
生死の鍵を握っているのは自分の日々の選択なのに、食への意識を普段なかなか持てないのは不思議だなぁと思います。
衣食住が充実しているので生死という感覚が薄くなっている昨今だからこそ、逆に「食べる」ということに意識を置くことが難しい気もします。
私が「食べる」を意識しだしたのは、20代前半に情報誌の仕事をメインで携わっていた時だと思います。
2週間に1回発行の情報誌だったので、スピード感がとてもありました。情報を集めては、取材・撮影をして世に出す。一番頼りになった情報がやはり「食」でした。目を満たし、心を満たし、脳の快楽は満たしてくれるんです。
頼りになる一方、体の充実という観点においての「食」を扱うことはほぼ皆無だった気がします。体に良い食べ物は数も少ないし、取り上げ方が2週に1回のスピード感では取り上げ方も難しい。
取材を繰り返した結果、食べ過ぎなどで不調になることもしばしば。20代前半ながら「このままじゃやばい」なんて、(食べ過ぎだからですが笑)結構真剣に悩んだこともあった記憶があります。
味方の食とは
毎食を人生で換算すると8万回ほど(諸説あり)は食べるそうです。
- 毎朝パンとジャムを食べる習慣
- 毎朝ごはんとお味噌汁を食べる習慣
どちらが良い悪いはないですが、体に優しいという観点だと、やはりごはんとお味噌汁のほうが体に良さそうです。無意識の習慣が、何万回と積み重ねられると思うと、体の糧になる食=味方の食を選んでいきたいなぁと思います。
そして、味方の食は、たくさん食べても不調になりづらいのが面白いポイントです。
自然に目を向ければ、今食べるものが分かる
スーパーやコンビニに行けば、なんでもあります。少し街にでれば、和洋食中華スイーツと、なんでもあります。
もう現代社会で生きるには、修行僧くらいの気持ちにならないと誘惑には勝てない沼だらけです。(笑)
だから、「今食べたい」を頭で考えたもので選んでしまいます。けれど、そういったものがない時代は、畑にあるもの、山にあるもの、海にあるもの、くらいしか食べれなかったのです。
トマトは夏、大根は冬にしか食べれませんでした。今はいつでもスーパーに行けば会えますが、本来はその季節にしか食べられないものです。
その季節にできる=その季節の体に都合よくできている
「旬のものを食べよう」とよく言われますが、体の栄養にとってもとても都合がいいんです。
8万回ある食事のうち朝の1回だけでも旬のものを選べたら、「生涯の1/3を食が味方してくれる」、なんてとても素敵だなぁと想ったりします。
「食べる」で心も体も満たす大切さ
「食べる」のなかで一番大事なのは、やっぱり「美味しい」で心が満たされることでしょうか。
いくら体に良いからといって旬を食べても、心がよろこばなければ、栄養にならないそうなんです。
誘惑の美食たちも捨てがたいですが、「体も美味しい!心も満たされる!」というのが本来は一番よい食事だそうです。
心の美味しさはすぐ分かりますが、体が美味しいというのは、食べたあとに不快さがないことだったり、食べたおかげでよく動けたり、でしょうか。
体のことは意識をしないとなかなか気づけないので、食べたあとをいつもより少し感じるだけで違いはどんどん分かってくると思います。
自然に目を向けて、食べるに意識をおいて、美味しいに感動する毎日が送れれば、なんて幸せな人生なんだろうと、常々思います。
そんなことを、自分への備忘録も兼ねてこれから書いていきます。
どうぞよろしくお願いします。